あったかみそすーぷ

取り留めのない日常のあれこれ

ドットは故郷

一昨日の夕方に書いた日記はさっぱり消えていた。書き途中のを保存しないまま眠ってしまったのだ。同じ物を書けと言われれば似たものを書くことは出来る気はするが、面倒なのでやはりやめた。少し勿体無い。

最近本を読み始めて、何かしらの情報をインプットしている。ただ無闇矢鱈にインプットばかりしてアウトプットをしないと語彙は身に付かないと思ったので、日記を書き留めるというのをやってみることにした。わざわざWEB上で公開するのは他者から見られているという意識を持つ意図の為である。その時思ったこと感じたことを純度高めにだらだらと書いているだけなので、本当にただの日記である。私としては読者の存在を想定せずに書くので、お読みになる方がいらっしゃるなら暇つぶしとして消費して頂きたい。

さて今日だが、大変不規則な一日であった。本を読んでは睡魔がやってきて寝て、起きたら本を読んでまた寝てというのを何度かやった。ここ数年、読書という行為をゲームやネットサーフィンに置き換えて休日は専らこんな生活である。特別やりたい事がないのだ。例えば友人から誘いが来ても気力が湧かない。関係自体は良好のはずである。会うまでの過程が面倒なのだ。そうして非活動的な休日を過ごす。虚無がやってくる。ああ私はこうして終わりに向かうのだろうか。まあこんなことは、よくあるやつだ。

一日中酒をちびちびやっていたが、今日は酔っていない。アルコールは本来人体に毒であるが、身体が拒絶しなくなってきているのを感じると私もいよいよ麻痺してきたんじゃないかと思えてきた。先週から毎日飲み続けている。別に酒が飲めるのに憧れているわけではない。美味しいから飲んでいるわけでもない。寧ろ酒は嫌いな方だ。ソーシャルゲームみたいに、何となく、始めてやっているだけである(ソシャゲに関しては性癖に訴えてくるキャラクターがいるか否かで始めたりはする)。このまま続けてアルコールに対する反応が鈍くなってきたら、今より度数の高い酒を買ってみようか、なんて事を思った。ちなみにいま飲んでいるのはアルコール度数3%の酒だ。私はかなりの下戸なのだ。

夕方くらいに何となしにゲーム機の電源を入れた。フレンド一覧を覗くと友人がポケットモンスターをプレイしていたので連絡しかけたが、ちょっと考えてやっぱり止めた。一緒に喋りながらやっても段々やる事話す事が無くなってきてどうでもよくなってくる。これに関しては、今後友人がこの文章を目にする事が万一あるかもしれないので先に牽制しておく。私のせいである。私が人付き合いが苦手なせいであって決して友人が悪いのではない。これが毎回の事なのでまたそうなるのを見越して止めておいた。違うのをやろう。
ラクーナというタイトルを選んだ。中身はハードボイルドなSF作品。前に恐らくセールをやっていて買ったのを、数分だけ動かしてあとは暫く放置していた。何故それを選んだのかは、今読んでいる本がSF作品だから、とかいう如何にも簡単な理由である。
買った当時は冒頭のみプレイしたが、改めてやってみると中々面白いゲームだ。近未来の都市を舞台に、捜査官の主人公は惑星間の戦争の引き金になり得る殺人事件の謎を解き明かすべく奔走する、というのが大まかなあらすじだ。美麗なドットで構成された空間的なグラフィックはシンプルで無駄がなく、横スクロールの単純な操作は、いとも容易く私をゲームに没入させた。
私は、近年の複雑な操作や思考を要求されるゲームより、そういったスーパーファミコン期のような古き良きを感じさせるゲームが唆る。ゲームボーイアドバンス世代の私は、幼少よりドット調のゲームで育ったのでそれが感性に深く刻まれているのだ。ドットは私の故郷(ふるさと)である。

ドットで思い出した。skebというサイトがある。イラストレーターにお題を出し、報酬を投げ銭という形で絵の依頼をするサービスだ。私は最近これに手を出した。
Twitterでフォローしている絵師様の中に、ドット絵を武器にしている方がいたので直ぐに依頼をした。お題は私が推しているキャラクターだ。
今朝、その絵師様による進捗がツイートされ、私はそれを見て、途方もない幸福を感じられたのだ。可愛い推しが、可愛いドットで描かれている…。可愛さのクロスオーバーである。オーバーキルである。これが今日の幸せのハイライトだった。完成が待ち遠しい。この、楽しみながら待つ時間こそが、心を、人生を豊かにさせてくれる。おわる。